「無理しないでね」
私がよく言われる言葉です。
よく言われるということは、はたから見ると無理をしていることが多いんだと思います。
そう声をかけてくれる人たちに感謝しながらも、「『無理しない』ってどういうことだろう」と常々思っていました。
このブログのテーマは「無理をしないで楽しく生きていくを目指す」ですが、実のところ「無理をしない」について深く考えたことがなく、定義も特にありませんでした。
そこで、今日は「無理をしない」について考え、自分なりの定義づけをしたいと思います。
そもそも「無理」とは
辞書的な意味
新明解国語辞典
目の前に学生時代使っていた国語辞典があったので、数十年ぶりに開いてみました。
①そうするだけの理由が無く、筋道が通っていない様子。
②客観的に見て困難である上に、それを強行すればしわよせが関係方面に及ぶと予想される様子。
出典:新明解国語辞典 第5版
※最新版は何版なのか検索してみたところ、第8版のようです。(2024年12月31日時点)
デジタル大辞泉
1 物事の筋道が立たず道理に合わないこと。また、そのさま。「—を言われても困る」「怒るのも—はない」「—な言いがかり」
2 実現するのがむずかしいこと。行いにくいこと。また、そのさま。「—を承知で、引き受ける」「—な要求をする」
3 しいて行うこと。押しきってすること。また、そのさま出典:デジタル大辞泉
英語
ちなみに英語では何というのか、こちらもインターネットで調べてみました。
英単語 日本語訳 impossible 不可能 unrealistic 非現実的 out of the question 論外 beyond one’s ability 能力を超えている no way 絶対に無理
出典:weblio英会話コラム
言葉の意味から思うこと
私の古い新明解国語辞典とデジタル大辞泉では微妙に意味が異なっていました。
新明解国語辞典は、②の「客観的に見て」という言葉が印象的でした。
よくよく考えると①も主観ではなく、客観的な視点のように思えてきます。古い辞書なので、本来はこういった意味で使っていたのかもしれません。
私自身がなにげなく使っていた「無理」は、英語版の「「beyond one’s ability:能力を超えている」が一番近いような気もします。
「無理をしている」というのは、自身の能力・体力を超えている。
とてもシンプルでわかりやすい表現です。
つまり、私にとって「無理をしない」のベースとなるのは、自身の能力・体力を超えないようにする、ということなのだと思います。
ただ問題は、世の中には自身の能力を超えていてもやらなければいけない(と思っている)ことが多すぎる、ということです。
無理をしないと生きていけない世の中
たとえば、ある仕事を任せられたとする。それは会社視点で至極真っ当な指示である。
ただ、個人視点で考えた時、それは達成までのハードルが高いとか、自分の能力(体力)を超えている。
このときにどうするのが正しいのか。
たとえば、わかりやすいのは残業です。
正直もう帰りたい、疲れた、もう頭が回らない。でもこれを今日中に終わらせないと間に合わない。
これはすでに自分の能力を超えている、それでもやらなければならないという状態なので、「無理をしている」といえるのではないでしょうか。
そもそもそうならないように調整しておけばいい話では?という意見もあると思います。
「無理をする」状態になる前に誰かに相談して業務を分担する、等の方法もあるでしょう。
でも、今のこの社会で、「これ以上仕事したら自分の能力を超えそうなので誰か一緒に進めてください」と”事前予告”するのは現実的ではありません。
なぜなら、「仕事を放棄している」「やる気がない」「甘えている」といった評価につながりかねないからです。
1ヶ月に一度とか、ごくたまにであれば問題ないかもしれません。
ですが、メンタル疾患を抱えている人は健康な人と比べキャパシティが小さく、業務処理能力や体力が低下しています。
それにより能力を超えるタイミングが健康な人と比べてかなり早かったりするので、先述の”事前予告”をしていたらキリがありません。
周りの人たちも忙しいので、常に「手伝ってください、自分の能力超えそうなので」と事前予告している人がいたら正直迷惑でしかないでしょう。
私は今の会社でメンタル疾患が再発してから、「無理をしない」と決めました。
(※ただしその時点では無理の明確な定義なし)
しかし、それを貫こうとしたら人間関係が破綻しそうになりました。
つまり、極端な言い方になりますが、普通に働いていたら「無理をしないで生きていく=人間関係の破綻を覚悟する」もしくは「無理をしないで生きる、を諦める」のどちらかになってしまうのではないでしょうか。
無理をしないで生きるということ
じゃあどうするか?
黙っていても人生は進んでいきます。
何もしなければ無理をし続ける人生になります。
そんな生き方は嫌です。
どうすれば無理をしないで生きていけるのでしょうか。
あくまで私自身に対する理想論になりますが、他人の組織で働かないこと。つまり、個人で稼ぐことを生活の軸にするのが大前提になるのではないかと考えます。
他人の組織で働くということは、自分でコントロールできることが少ないということです。
メンタル疾患を抱えている人間にとって、自分でコントロールできない=能力を超えていてもやり遂げなければならない=無理をしなければならない=メンタル疾患が治らない、という式が成立してしまいます。
そのため、少しでも自分でコントロールできる要素の多い働き方をしないと、今後もずっと無理をする人生になってしまうでしょう。
そして常にメンタル疾患に悩まされ、苦しいと思う日々が多くなる人生になってしまうでしょう。
もちろん多少は自分の能力を超えた挑戦をしないと、いろんな意味で成長はないと思います。
ただ、自分でコントロールして自分で決めた目標であれば、基本的に「自分の能力を超えている=無理をしている」という式にはならないと思うのです。
ちなみに、「基本的に」なので例外はもちろんあります。
自分で決めたことであっても、「こうしなければならない」という思い込みにより自分の能力を超えて何かを実行している場合も往々にしてあると思います。
しかしやはりその考えの軸になっているのは「他者視点」ではないかと考えます。
こう思われたいから、こう見られたいから、だからこうする。
これは自分で考えているようで、結局は他人にコントロールされている状態だといえます。
つまり、「無理をする」というのは「他人のコントロールにより、自身の能力・体力を超えているにもかかわらず、何かを達成しなくてはいけない(と思い込んでいる)状態」と定義づけてもいいかもしれません。
まずは自分でコントロールできること、していることが多い状態にするのが、無理をしないで生きるための重要で大きな一歩なのだと思います。
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